第6章
10月26日『真珠湾の彼方へ』

朝の散歩は日課になった。朝日に包まれたワイキキはまだ静かで、天気もよく、気分も爽快だ。ハワイへ来てよかった、と心底思う。日本へ帰りたくない気持ちになる。

今日のメインイベントは真珠湾だ。姪たちの計らいで、50年以上も前、私の青春を黒く塗りつぶす契機となった、あの真珠湾を訪れる。

USSアリゾナメ記念館の入り口にて。まずは朝食を摂る。ビーチタワーの前にマクドナルドがある。店内は日本とおんなじだ。私は普通のハンバーガーを頼んだが、男性陣はカップヌードルのような器に入ったサイミンという麺を食べている。薄い塩味のラーメンのようなものらしい。サイミンは日本のマクドナルドには無い。

9時半頃、私たち5人を真珠湾まで運んでくれる大きなクルマが到着した。ビーチタワーの玄関には入らないので、隣のパシフィックビーチ・ホテルの玄関での待ち合わせになった。

クルマは、ワイキキからフリーウエイをゆったりと走り、ホノルル空港を左に見ながら、やがてアロハスタジアムを左に曲がった。ほどなく、目指すUSSアリゾナ記念館に到着した。姪の夫君が、チャーターしたクルマのドライバーに、「なるべく遠くで降ろして下さい」と言った。できるだけ近づいてくれたほうが楽なのに、と訝ったが、クルマは駐車場の外れで停車し、我々は下車した。

USSアリゾナ記念館にて、遠いあの日の真珠湾を思う。ドライバーも降りて、ガイド役に早変わり。時間を調整するため、記念館の隣にある潜水艦バウフィン博物館を外から眺めたり、魚雷の前で写真を撮ったりした。

しばらくして我々に指定された見学時間になった。ここは無料の施設だが、訪れた人は皆、何がしかの寄付をしている。私も1ドル紙幣を募金箱に入れた。

海軍の制服を着た係が、まず映画館へ案内してくれる。100人くらいは入れる立派な劇場が二つある。映画は、1941年12月7日の真珠湾攻撃を写したドキュメンタリーだ。全編が英語なので内容はよくわからないが、少なくとも日本の奇襲を一方的に弾劾するようなものではなく、あの日、ここで起きた不幸な出来事を淡々と綴ったもののように感じられた。

20分ほどの記録映画を見たあと、ボートに乗って、いよいよ沈める戦艦アリゾナを訪れる。1,177人の乗組員を抱いたまま、静かに眠るアリゾナの上に架けられた60メートルほどの白亜の記念館に、私は立った。水面に油が浮いている。海底から湧き上がったのか。

過去、我々の同朋により命を落とした戦艦とその乗組員を思い、同時に、否応なく自分も巻き込まれた戦争という時間の渦を思うとき、言葉にできない塊が心に生じた。真珠湾の上から入り江を望めば、遥か昔からそうであったように、緩やかな丘陵と青い空が溶け合っていた。あの日、戦闘機に乗った日本の兵士も、この景色を垣間見たに違いない。私は生きて、いま、この場所に立っている。

見学の時間が終わり、ボートが迎えに来て、我々は見学者センターに戻った。センターの中には簡単な博物館や書店があり、往時のありさまが辿れるようになっている。センターの奥は真珠湾が一望できる公園だ。椰子の木のそよぎにハワイの風を感じながら、海と空の彼方に思いを馳せたとき、あの日の出来事は日本とアメリカのせめぎあいが起こしたことであり、本当の犠牲者はハワイそのものだったのではないかと感じた。

生涯でこんな車に乗れるとは想像だにしなかった。頃合いを見計らって、ドライバーが我々を呼びに来た。「もっと遠くで待っているように頼んだのに」と姪の夫君は言う。できるだけ近くに来てくれて気が利くじゃないかと思ったので、夫君に何故と尋ねた。すると、ここ真珠湾は日本とアメリカの最も痛ましい接点のひとつだから、本当はリムジンで我が物顔で乗り付けたくなかったが、一緒に見学するアメリカ人たちの気持ちを思い、リムジンは遠ざけたかったのだとのこと。なるほどと思った。

そろそろ帰る時間だ。リムジンは往路とは別のモアナルアロードを走る。やがてモアナルア庭園に到着した。

日立グループのテレビCFで有名な「このー木、何の木、気になる木」の実物が、ここにある。モンキーポッドという種類で、枝の広がりは30メートル以上もありそうだ。近づいてみると、小さな赤い花が付いているのがわかる。

「この木、何の木」のCMで有名なモアナルアガーデンの巨木の前で。大きな木と大きな空があるだけの芝生の空間。ここでは時間が止まってしまうかのような感じがした。

リムジンは昼過ぎにワイキキに戻った。チャーター料はチップを含めて265ドルだった。部屋の冷蔵庫にあったもので簡単なランチを食べてから、午後の時間を楽しむために、私以外はビーチやプールへ出かけて行った。

ワイキキの一人歩きにも慣れてきた私は、バスでふらりとアロハタワーに行ってみることにした。道筋を教えてもらったこともあって、アロハタワーには容易く到着した。飛行機がなかった頃は、このタワーがハワイの玄関だったわけだ。しばらく寂れていたこの辺りは、ショッピングセンターとして1994年末に再開発された。

アロハタワーに向かって、椰子の木が立ち並び、まるで参道のようになったショッピングモールを抜け、ゆっくり歩く。エレベーターでタワーの天辺に上る。ホノルル港のパノラマを眺める。1921年の建造だから、私よりも長生きだ。今日はいろいろな歴史を感じる日だ。

ずいぶん長いことアロハタワー界隈を見物した。どうやってワイキキに帰ろうか思案していると、ワイキキ行きのバスがあった。とにかくワイキキに行くことは間違いなさそうなので、2ドル払って、このシャトルバスでホテル街へ戻ってきた。

さあ、ワイキキ最後の夜だ。日本料理も恋しくなったことだし、同行の皆への感謝を込めて、私がご馳走するとしよう。ビーチタワーの裏手にある日本食レストラン『踊り子』へ出かけた。すき焼き、雑炊、刺身定食などを頂き、生ビールやチュウハイで喉を潤し、楽しかった4日間を大いに語った。あとは部屋に戻って荷物と心の整理をして寝るだけだ。

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